人付き合いの儚さ
どうもどうも
今日はタイトル通りは人付き合いの儚さについて書いていきたいと思います。
というのもですね。
主は大学生になりましたけど、高校生の時に出会って、未だに連絡を取っている人がいるんです。
主、その人のことがなんだかんだでずっと好きで、異なる進路を歩んでいるにしては頻繁に会っているにも関わらず、その人のことをふと考える時があるんです。
環境が変わって、他の方も素敵だとは思いましたが、結局その人に帰ってくるんです。
まるで一人暮らしをしている人がなんだかんだで実家が好きだからって言って帰省するように。
ちなみに出会って6年目に突入しようとしていて、日換算にするとなんと1800日越え。
まあ人生100年時代、5年なんて大したことないという考えもありますけど、それでも主は飽きっぽいのでそんな主にしては5年って長いなと感じます。
なのに一緒にいていて新鮮で、ずっと一緒にいたいし、離れる時も名残惜しいし、、、
つい最近は高校の時にはあり得なかった名前呼びも解禁してて、、(みんなのことを名前呼びしてるので主だけではないらしいんですけどね😅)
そんなこんなあるので、主は嫌われていないはずなんです。主のためにも時間を使ってくれるし。
でも普段全然連絡を取り合わないし、連絡を取るような用事もないので、そのうち疎遠になってしまうんじゃないかなって感じてふと寂しくて心が重くなるんです。
よく考えたら連絡取り合わないだけで疎遠になるなんて寂しい話ですよね。
でも連絡取らないで疎遠になるって、友達を気にかけられなかった自分が悪いんですよ。結局。
だから離れていってしまうんですよね。
切ないし、儚いですが、それが人付き合いなんですよね。
人の数だけ、人と向き合う数だけ、人との向き合い方ってあるはずなんですよ。
ビジネスみたいにかっちりとした形式ばった関係からプライベートでゆるゆるな関係まで。
でもどんな関係でも人と人との感情が多少なりともあるはずです。
人間だから。
だからこそ人と人との関係、向き合い方をたくさん勉強していって考えて、視野を広く持ちたいと思ってます。
それがきっと寛容な心に繋がっていくはず。
そう信じています。
明日は2ヶ月ぶりと半年ぶりぐらいに会う友達と近辺を遊んできます。
実は半年ぶりに会う友達と長く遊ぶのは実に小学生以来だったはず、、
そんな長い友情を持てている環境に感謝して、明日1日楽しんできます。
きっと今現在会っている大学の友達とも卒業後もこのような長い友情を築けていけることを願ってます。
あと今ふと思ったんですけど、、(主はこういうこと多いです。)
自分のことは絶対誰かがどこかで自分の知らないうちに見てくださってるはずです。
なので逆を返すと、自分が怠けているところも絶対誰かがどこかで自分の知らないうちに見てくださってるはずなんですよね。
だからこそ人のため「だけに」努力をするのではなく自分のためにも努力を積み重ねていきたい所存でした。
帰りの電車で好きな発車メロディーが聴けてウキウキしている主でした。
今日はこのぐらいにしておきます。
ではまた。
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